HISTORY
SAUTER社の歴史
ヨハン・グリム Johann Grimm(1819年〜1845年)
1790年シュパイヒンゲンで生まれたヨハン・グリムは、
1800年~1812年オーストリアのウィーンに住んでいました。
当時ウィーンは大きな都市で、現在はドイツに属するシュパイヒンゲンはオーストリアに
属していました。グリムはウィーンに容易に行くことができたのです。
1810年頃ピアノは次世代の楽器としてとても成功しており、
現代におけるコンピューターに匹敵するくらいの画期的な発明でした。
当時たくさんの人たちがピアノに興味を持っており、
大工をしていたヨハン・グリムも教会のオルガンに感銘を受け、楽器職人を志し
ウィーンですでに有名であったアンドレア・シュトライヒャーの工房で修行しました。
シュトライヒャーは著名なドイツの詩人フリードリッヒ・シラーの友人でした。
彼はアウグスブルグの名高いオルガンメーカーの娘、ナネッテ・シュタインと結婚し、
ベートーヴェン等の重要な人たちにピアノを提供していました。
シュトライヒャーの工房は技術を学び、友情を育むのに適した場所でした。
1819年にヨハン・グリムはシュパイヒンゲンに戻り、
この場所でピアノの小さな工房を開き、月に1台の割合で製作を行いました。
当時のピアノの高価であった事や購入者を記した資料等が今も残されています。
ヨハン・グリムには子供がなく、妻の継子であるカール・ザウター
(カウルス・テオドス・ザウター)に仕事を継ぎました。
カール・ザウター Carl Sauter I(1846年〜1863年)
創始者、ヨハン・グリムの甥、カール・ザウター1世はその商才を⾒込まれ、⼯房の経営を引き継ぎました。
彼は⼯房を本格的な⼯場に拡張し、ピアノの技術改良を進めたのです。
また、当時とても⾼価で現金で簡単に購⼊できなかったピアノを、購⼊するための融資システムを生み出しビジネスを進化させました。
ヨハン・ザウター Johann Sauter(1863年〜1909年)
カール・ザウター1世をひきついだその息子ヨハン・ザウターはアメリカへの旅でピアノ製造技術に関する新たなヒントを持ち帰りました。
それ以降、スクエアピアノからモダンなアップライトピアノへと製造割合を変えていったのです。
カール・ザウター2世 Carl Sauter II(1909年〜1948年)
カール・ザウター2世は第1次・2次世界大戦を通し困難な時代を過ごしました。
戦争中はピアノは必要とされませんでした。
しかし彼は努⼒し⼯場を拡張させることに成功し、近代的な工法を次々に導入しました。
そしてシュパイヒンゲンの町工場を本格的で近代的な工場に発展させ、増産を推進したのです。
カール・ザウター3世 Carl Sauter III(1948年〜1968年)
音楽家、ピアノ製造技術者、そして発明家でもありました。
カール・ザウター3世は、時流に合った新しい技術と材料を取り⼊れます。
その⾳と美しいデザインのモデルは展覧会で評判となり、
まもなく海外へ輸出され世界中で評判になりました。
1952 年、ザウターはグランドピアノ、モデル160 を開発しました。
ハンス・ザウター Hans Sauter(1968年〜1993年)
カール・ザウター3世の弟でピアノ製造マイスターであるハンス・ザウターが会社を引き継ぐと、ザウター社は数々の改革を打ち出します。
最も重要な成果はR2アクションのシリーズ化と基本モデルを⼤型化し豊かな⾳量を実現させたこと、ハイエンドのM-Line シリーズの導⼊、さらに限定モデル⽣産と、魅⼒的な外装デザインのモデルを実現させました。
ウルリッヒ・ザウター Ulrich Sauter(1993年〜現在)
ハンスの息子であるウルリッヒ・ザウターが経営に加わり、
高級品市場への参入の為オーダーメイドデザインの導入を企業方針の中心に置きました。
ウルリッヒはデザインモデルをさらに進め、
ドイツ・デザイン界の巨匠、ペーター・マリーに
デザインを担当してもらうことに成功しました。
斬新かつモダンなデザインのピアノは
フランスやロシア等のヨーロッパをはじめ、世界中で人気を博しています。
現在、ザウターは世界で最も古い伝統を持つピアノ製造会社となりました。
音色、タッチ、デザインにおいてピアニストの高い要求に十分応えるべき
最高級ピアノを作ることに全力を傾け続けています。
※( )は社長在任期間です
ザウターピアノは創業200周年を迎えました。
そして今日も工場では熟練職人の手によって新しいピアノが1台1台仕上げられています。
ドイツ国内でドイツ国民のためにピアノを作り続け、1950年代まで輸出してこなかったザウターピアノ。
「100% Made in Germany」のモットーはこれからも守られ続けます。